二十年の活動の記録

著者紹介

sanagi nakasunagare
1980年生まれ
神奈川県在住
10代でテレビ子役活動を経験
高校卒業後、映像制作会社に勤務
コミケのアンダーグラウンド表現に感銘を受ける。
独学で写真を学ぶ
2000年よりコミックマーケットにてサークル参加
デザインフェスタなど展示多数
同人作品多数

作品紹介

WONDERCHILDREN(2005)
失ったこども性。
失ったこども時代を再獲得したいという願いで制作した。
しかし、こどもと同じ目線で、戯れに彼女たちと触れあっていれば、不注意にこどもを事故に巻き込みかねない。
僕は、保護者のような振る舞いをしなければならない事に落胆した。
自分の失ったこども性を癒やす為には、自らが大人になり、こどもを大切にする事しか出来ないのであろうか。
彼岸列車(2006)
喪失感。それは誰かへの喪に服す行いであったか、自らの中の何かへの諦めの墓であったか。
斧少女事件(2007)
同年に実際にあった事件より。
尊敬していたはずの父親の不貞。
正しいとされる世界感を保持してくれなかった父への怒り。
守られる自らで居続ける事の出来なかった自らとの決別。
彼女の心を思うと、その罪を責めきれない人が僕の知人に居た。
他者を罪の牢獄に閉じ込めないこころは僕にとって救いであった。
別れた自分の半身を見つけて再びひとつに戻ろうとした。(2008)
柘榴(2008)
痛み。
撮影地までの乗り継ぎを尋ねられた。
自分で調べて欲しいと伝えたら「もう訊かないです」と移動中、彼女はイヤホンで耳を塞いだ。
相手は傷ついている。迂闊だったと思った。

20分間歩きながらどう語りかけるか考えた。
泣きながら僕をなじる彼女の言葉は僕を攻撃するというよりも、誰か他の人の事を言っているようだった。
僕を誰かに見立てて責めている。
彼女は自らが責められる前に先んじて僕を責めているのだ。
そうさせているのは何だろう。恐らく親の存在のせいだろうと僕は思った。
魔女の夢(2009)
エディプスの白と黒(2009)
かえりたい。
今、ここにいる事に違和感を覚える。

原始の人の墓を想うのは過去性への憧憬だろうか。
僕は過去に「帰りたい」と思っていたのだろうかと思った。

生きる事への煩わしさがもたらす死を望む思い。
自分は、土に「返りたい」と思っているのではないかと思った。
未来に確実に起こるであろう、肉体が朽ち、物質に返る時。
その時を望んでいるのかもしれないと思った。

家に「かえりたい」。
そんな家など、かつてあったであろうか。
女性の待つ家という観念へのあこがれ。
その女性とは母であろうか、妻であろうか、娘であろうか。

女性の体に「かえりたい」。
自分をもう一度生まれ変えそうとする事。自分では無い命を孵そうとする事。
過去性と未来性のあわいに、「孵りたい」という叶わぬ幻想を抱いた。
もういない(2010)
我が世誰ぞ常ならむ(2010)
さよなら身体 さよなら心(2011)
宵の明星(2011)
UNTITLED(2012)
義屋満の水面に映る月に君の面影を見た(2014)
岬の彼方、深い海の色、入江の向こうで妹に会った…(2014)
砂の惑星に緑があふれる(2015)
時子(2016)
わすれもの(2018)

現在進行系で製作中の作品

作品集を自主制作する活動をしています。
作品はパソコンで閲覧するデジタル作品です。同人イベントやネットで売る事を目的としています。
一生作品を売りたい。利益は被写体の方と山分けしたい。
発表一年間の売上の100%を被写体の方にお渡しし、それをもってモデル料としたい。という考えで動いています。
2020/12月末に発表します。
見るなの禁忌
日本の神話に描かれる出生の秘密を見た事で引き裂かれる男性と女性。
恥と自我の傷つきに結び付けられた「見る」を戒めるこころ。
振り向く事で滅んだソドムとゴモラ。
出生の秘密を暴こうとするな、トラウマになど目を向けるな…。
そのような神なる者の命を背き、僕らは過去を振り向こうとしている。
わたし
橋や川、渡しの機能を持つ船というのは「わたし」である。
過去と未来、生と死、表と裏、光と闇、舞台と楽屋… 役を演じる「わたし」がままならず、打ちのめされる。
「わたし」を行う事と、「わたし」を降りたいこころの相克。その戦いの記録。
隔絶
聖域
河原
無縁
自分からの脱出を望む。
人の定めた理りが軛となり、自らを自らに閉じ込める牢として機能する。
自らを帳消しにしたい。逃げたい。
人の理りの届かぬ川の向こうを求む。
いつか、人を欲する時に人の世に属する事を求めもする事を許される間柄。
こちらとあちらがあって、「わたし」は機能する。
去来の心任せは、河原に住む者の無縁の夢である。

ご覧いただきありがとうございます。

自分らしくありたい。
だれかの痛みを知りたい。それが、自分の痛みを軽減する事になる。
生きづらい。生きづらさを画面に写し出したい。

そういう「わたし」を記録をする戦いをしています。
自分らしく生きる事の探求をしています。
ここで紹介させて頂いたのは20年の戦いの記録の一部です。

自主制作の作品は、広告に依存しないメディアなので、
スポンサーに忖度しなくて良いので、暗さを出しても良い自由さがあります。
既存のメディアは明るく朗らかなものを求めるので、そのようなものしかやってはいけないような空気があるだけで、かえってそれが世の中を息苦しくさせていると感じます。
死にたいと思ったらそれを言っても良い表現の自由さがあります。
傷ついていても良いのだ、と伝える事も良いのです。

この国は豊かでも良い国でも無いと思います。
幸せでもないし、ほんとうはみな心が傷ついている。
それを隠して、幸せのフリをし、着飾っていますが、正体がバレるのを恐れて不安です。
僕の参加するイベントですら、本当はみな不安でいっぱいです。
僕とて、なにか責められたり、いじめられたりされないか不安です。
戦略を練り、己を知り、表現力を磨いて武装しています。
でも強いフリは写真に写りバレるので、自分の弱さをさらけ出す戦略にしています。

サナギ